One Night Carnival

   *********


   とーしのーはーじめーの…

   明るい歌声に誘われるように。
   真っ白な世界から体が急激に覚めていくのがわかる。
   ぼんやりとした感覚に目を開けたら。

   「…何処だ?ここ」

   見知らぬ境内に自分が倒れていた事に気付いた。


   〜One Night Carnival〜


   何も思い出せなかった。
   ただ自分が子供で(おそらく10歳くらい)頭の上に
   濡れたハンカチが置かれている事しか分からない。
   一体自分が誰で、どうしてここにいるのかすら分からなかった。

   「な、何があったんだ…僕は…」

   ただただ混乱したように周りを見回していた少年は、
   不意に後ろから聞こえた足音に驚いてそちらに目を向けて。

   「あら、目が覚めた?」

   優しく微笑みかけてきた女性のひどく美しい瞳に
   見惚れたように固まってしまう。
   年齢は20歳前後といったところだろうか。
   少し癖のある柔らかそうな茶色の髪。
   吸い込まれそうな青い瞳は着物の派手な紅にとてもよく映えて、
   この女性の最大限の魅力を生かしている気がした。

   「あなた、ここに倒れてたのよ。何処か痛い所はない?」

   心配そうに差し出された缶ジュースを受け取って、照れたように小さく頷いた。
   どうやら濡れたハンカチはこの女性が乗せてくれた物らしい。

   「正月早々驚いたわ」

   初詣に行く近道として寄った神社で倒れているのを見つけたのだという言葉に、
   何故自分がこんな所に倒れていたのか全く思い出せなくて額を押さえる。

   「私はレイン。…あなたは?」

   レインの癖なのだろうか。
   首を少し傾げて聞いてくる姿に首を左右に振って、
   自分の名前すら思い出せないのだと呟いた。

   「困ったわね…名前もわからないんじゃ家の捜しようがないわ」
   「あの!僕…っ」
   「レイン!」

   大丈夫ですと言おうとした瞬間、不機嫌そうな声に遮られてしまった。

   「ドモン!ちょっと待って…」

   いつからいたのか、大きな木にもたれ掛かるように立っていたドモンは、
   詰まらなそうに目を向けると、呆れたように溜息を吐いた。

   「あの!本当に大丈夫ですから!」

   そんなドモンの態度に少し腹を立てたように叫んで立ち上がる。
   なんだか子供はこれだからと馬鹿にされた気がしたのだ。
   何よりも、レインに連れがいた事が何だか悔しかった。

   「ごめんなさいね、あの人の事は気にしないで」

   いつもあぁなのよ、なんて言葉が尚更二人の仲のよさを表しているようで。
   自分でもよくわからない苛立ちに顔を俯けた。

   「…気にしてませんから」

   困った表情になるレインに、
   自分でも子供っぽい癇癪を起こしている事はわかっていたけれど。
   今会ったばかりのレインの存在が、
   自分の中でとても大きな存在になりつつあるのを感じていた。

   「そうだ!私達が一緒に記憶を探る手伝いをしてあげるわ」
   「レイン!」

   レインの突然の申し出に、ドモンは苛立ったように叫んで、
   返って来た強い瞳に、どうにでもしろというように目を閉じて溜息を吐いた。

   「あの、本当にいいですから」
   「じゃあ、あなたこれからどうするの?」

   少し怒ったように言われて、実際どうすればいいかなんて
   全く思い付かなかったので口をつぐんでしまう。
   レインにこんな風に言われると、勝てそうにない気がするからだ。

   「神頼みなんて叶うかわからないけれど」

   一緒に初詣に行ってお願いしましょうよ、なんて優しく笑われて。

   「う、うん…」

   綺麗な瞳に断れないまま素直に頷いた。

   「そうだ。名前がないってゆーのもアレよね…」

   不意に考え込むように近づいて来たレインは、
   少年の顔を興味深げにまじまじと見つめる。
   すぐ目の前にある綺麗な顔に胸が苦しくなるのを感じて。
   思わず瞳を反らしてしまった少年は。

   「キョウジ…あなたキョウジさんにとても似てるからキョウジ君でどうかしら!」

   楽しそうに言われて曖昧に頷いた。
   何だかその名前はどんな名前より自分にしっくりくるように感じるのは。

   「ありがとう…レイン」

   その名前が、誰でもないレインが考えてくれたものだからかもしれない。
   とても嬉しそうに笑ったら、レインは一瞬だけ驚いたように目を見開いて、
   綺麗に笑い返してくれた。

   *********

   「す、すごい人ね…」
   「だから初詣なんて来たくなかったんだ」

   呆然と呟くレインとドモンを見上げたキョウジは、
   自分もこの中に混ざらなければいけないのかと、
   目の前にたむろする集団を嫌そうに眺めた。
   我先に福を貰うんだと言わんばかりに押し合いへし合い境内に向かう姿は、
   餌に群がる蟻以上に恐いものがある。
   ウンザリするような人の波に、ピリピリとした空気が伝わってくるようだ。

   「レ、レイン…」
   「だ、大丈夫よ!しっかり手を繋ぎ合いましょうね」

   強く握られた右手に温かな温もりを感じて。
   少しだけこんな混みまくっている神社が有り難く感じた。
   嬉しそうに俯いて、不意に反対隣りのドモンが
   こちらを見ている事に気付いて顔を上げる。

   「繋いでやろうか?」

   ぶっきらぼうに言ってくる言葉に妙に苛立ちを感じるのは
   子供扱いされたのが嫌だったからだろうか。

   「いい。いらない!」

   見上げなければいけない身長差に悔しさを隠し切れないようにプイと顔を背ける。

   「…くそガキが」

   腹立たしげに吐き捨てられた言葉に妙に優越感を感じて。

   「レイン、行こう!」
   「え!?えぇ!」

   急かすように繋いだ手を引いて駆け出した。
   のはよかったが、いくら子供が元気だと言っても限界はあるらしい。
   泣き出す子供や帰ろうとゴネだす子供達に、お参りを諦め切れないのは大人だけだ。
   まだまだ続く長い列の先には、振ってくれとばかりに大きな鈴があるのに。
   一向に振れる気がしないのはキョウジまでもが
   他の子供と同じように帰りたくなって来たからだ。
   気持ちが後ろ向きか前向きかなだけで、ゴールは近くも遠くも感じるものらしい。
   そしてそんな後ろ向きな気持ちになるのは。

   「〜〜帰る!!」

   子供と同じくらいかそれ以上に、父親や彼氏という男性陣が多い。

   「今更何言ってるのよ!もう少しじゃない!」

   そして女性陣に当然のように止められるのも、悲しき男性の定めなのだ。
   運命だと言ってもいい。

   「キョウジ君も頑張ろうね!」

   記憶の為よ、なんて励まされて頑張ろうと思っても、心と体は反比例するものなのだ。

   「う、うん…」

   疲れに痛みだした足をレインに気付かれないように上下運動させて、
   額に浮かぶ汗を拭ったら。

   「チッ…」
   「ぅわっ!」

   不意に頭の上から舌打ちが聞こえたと思ったら、
   ドモンに肩車されてしまって、キョウジは嫌そうに顔を真っ赤にして暴れ出した。

   「はなっ、離せよ!」
   「大人しくしてろ。落ちるぞ」
   「子供扱いするな!」

   隣で微笑ましい光景を見るように目を細めたレインに恥ずかしさが押し寄せて来る。
   恥ずかしさと悔しさに涙を浮かべたら。

   「下にいられて迷子にでもなられちゃ適わないからな。
    安心しろ、あそこに着くまでしか担いでやらねぇよ」

   自分と同じくらいドモンが赤い顔で呟いた事に気付いて、
   大人しくドモンの頭に捕まった。
   ドモンはきっと、キョウジが足を痛がっていた事に気付いていたのだろう。
   その事をハッキリ言ってしまわないのは、
   子供ながらに男として女性の前で格好悪い所を見せたくないだろう事が
   ちゃんと分かっているからだ。
   何処までも大人なドモンが悔しくて。
   でも少しだけ嬉しくて。

   「…ぁりがと…」

   聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟いたら、
   ドモンも小さく笑った気がした。

   *********

   やっとたどり着いた境内に三人して息を切らして。

   「はい、キョウジ君。ご縁がありますように、ね?」

   差し出された五円を受け取って賽銭箱に投げ付けた。

   「記憶が戻りますようにってお願いしなきゃね」

   そっと渡された鈴の紐をしっかりと握って、レインと一緒に力いっぱい鳴らした。
   力強く鳴り響く鈴の音は、心にある蟠りを統べて取り除いてくれるようで。
   手を合わせて目を閉じていたキョウジは、そっと目を開けてレインを見つめた。
   神様にたったひとつだけするお願い。

   「神様…」

   記憶は確かに戻ってほしい。
   誰かが自分を探してくれているのかもしれない。
   その人の為にも、何より自分の為にもそれをお願いするのが一番正しいのだろう。
   でも、それ以上に望みたい願いがあるのだと言ったら、
   神様は呆れてしまうだろうか。
   そっと再び目を閉じてお願いをした。
   もしも願いが叶うなら…ー。

   「さて、帰りましょうか!」

   レインの元気な声に閉じていた瞳を開けたキョウジは。

   「ほら、もう歩けるだろ」

   下に降ろしてもらうと、恥ずかしそうにレインに駆け寄った。

   「レインは何をお願いしたんだ?」

   自分と同じ願いだといいな、なんて淡い期待を抱いてしまうのは。
   自分の気持ちに気付いてしまったからで。

   「ん?秘密よ!」

   楽しそうに笑うレインが少し憎らしく感じてしまうのは。
   自分の気持ちなんて全く気付いてくれない事が悔しかったからかもしれない。

   「どうせキョウジ先生が帰って来ますように、だろ?」
   「ド、ドモン!」

   ドモンの呆れたような、どこか拗ねているような声に真っ赤になるレインは素直だ。
   どこまでも嘘が付けない性格なのだろう。

   「キョウジ…先生?」

   レインの反応に嫌な思いが胸を過ぎる。
   すごく…大切な人なのかもしれない。
   だからキョウジ先生と似た自分に同じ名前を付けたのかもしれないなんて。

   「レイン…最初も思ったんだけど、誰なの?キョウジ先生って」
   「え、えぇ!?」

   思いたくないのに素直な反応に全てを知らされてしまう。
   まるで本当に自分の名前であったかのように馴染んでいた名前が、
   急にひどく嫌なものに思えた。

   「…幼稚園時代から憧れてた先生でね、今は…その…お付き合いしてるんだけど」

   研究したい課題があると飛び出して時々手紙で連絡を寄越すだけなんだ、なんて。
   淋しそうに揺れる瞳が本気を表していて、キョウジは悔しそうに唇を噛み締めた。

   「レイン…そいつが好きなのか?」
   「え…?」

   しばらく戸惑ったように瞳をさ迷わせてから小さく頷いた笑顔がとても綺麗で。

   「キャッ!キ、キョウジ君!?」
   「お、おい!」

   その笑顔をさせているのが自分によく似た別人である事が悲しくて。
   何も考えないままレインの手を引いて闇雲に走り出した。
   もう残されたドモンや、困ったように引っ張られている
   レインの気持ちなんてどうでもよかくて。
   ただレインが自分以外の誰かを想っている事が、
   自分の記憶が戻らない事より悔しかった。

   *********

   闇雲に走ってたどり着いたのは、最初自分が倒れていた神社だ。
   何故ここに来てしまったのかは分からなかったけれど、
   もしかしたらレインと初めて出会った場所だったからかもしれない。
   古寂れた神社には人気はなくて、
   ただ鬱蒼と多い繁った木々がキョウジの心のように自分達を取り囲んでいた。

   「キ、キョウジ君…っ…どうして急に!」

   着物に草履を穿いた姿で走るのは随分疲れたのだろう。
   額に汗を浮かべて息を切らすレインはひどく辛そうだった。

   「レイン…!」

   ふと見たレインの足袋を穿いた足に血が滲んでいるのを見て、
   キョウジは申し訳なさそうにレインを神社の階段に座らせる。

   「ごめん!僕、レインの事何も考えてなかった…」

   ドモンなら、大人のキョウジならこんな時、
   何よりもまずレインを気遣ってこんな怪我なんてさせたりしなかっただろう。

   「大丈夫よ、穿き慣れない草履が悪いんだから」

   そして自分が悪いのだと気を使わせるような事もなかったのだ。
   でも自分は子供で、自分の気持ちを制御する事が出来ずに
   ぶつける事しか出来ない程子供で。

   「…ごめん…」

   記憶なんてもう戻らなくてもいいから。
   一生苦労してもいいから。

   「僕が子供だから…」
   「キョウジ君…」

   もっとしっかりとした大人になりたい。
   今すぐ大人になれたら、なんて。
   無理なお願いだという事は分かっているけれど。

   「早く…大人になりたい…っ」

   少しでも自分の気持ちが伝わって欲しくて、
   耐え切れないように涙を流して必死にレインにしがみついた。

   「キョウジ…く…」

   座っている為に目の前にあるレインの驚いた瞳を見つめて。

   「僕、お願いしたんだ。『早く大人になれますように』て…レインが…好きだから…」

   切ない気持ちが溢れるのを止められないように、
   綺麗な赤い唇に自分のそれをそっと重ね合わせた。
   瞬間…ー

   「きゃっ!」
   「う、うわぁああっ!」

   キョウジをまばゆい光りが包み込んで、慌てて閉じた瞳をそっと開いたレインは。

   「キョウジ…せん…せ…?」

   小さなキョウジがいたはずの所に、逞しく、
   愛おしい存在が入れ代わるようにいる事に驚いて目を見開いた。

   「俺は…」

   さっきとは違う大きな骨っぽい手の感触。
   着慣れた白の白衣の肌触りに、
   キョウジは何もかもを思い出したようにレインを見つめた。

   「どうして…キ、キョウジ君が…先生…が」

   混乱したように呟くレインの頬を両手でそっと包み込んで、
   キョウジは一部始終を語る為に口を開いた。

   *********

   幼稚園の仕事を止めてから、昔から好きだった研究に身を入れ始めて
   博士号まで取ったキョウジは、
   友人のお願いで遺伝子組み替えの研究を手伝っていた。
   そんなある日、研究中の薬品を頭から被ってしまい、
   熱くなる身体と朦朧とした意識の中で
   さ迷うように歩いていた事までは覚えていたのだ。

   「それで気がついたら俺は子供になってここに倒れていた…」

   記憶という一切を失ってしまってもレインが付けてくれた名前に
   違和感を覚えなかったのは、
   その名前が体の中にしっかり組み込まれていたからなのかもしれない。

   「何故ここに倒れていたのかは分からないが」

   少しでもレインの側に行きたかったのかもしれないな、なんて笑ったら。

   「キョウジ、せん…せ…っ!」

   ずっと我慢していたようにレインが強く抱き着いて来た。

   「子供になって分かった事は、子供が年上に憧れる理由と」

   何度巡り会っても…。

   「俺はやっぱりレインに恋をするって事…かな」

   愛おしい存在を確かめるように強く抱き返して。

   「キョウジ、せん…せ!…キョウジ先生ぇ!」

   何度も自分を呼ぶ声に目を閉じたら、少しずつ自分の意識が薄れて行くのを感じる。

   「…せ……じ、せんせ…」

   薄れる意識の中で段々遠ざかっていく声に不安定な感覚を覚えた瞬間。


   『キョウジせんせー!!』


   「ぅわぁああ!」

   耳元で鳴り響いた大声の大合唱に、
   キョウジ先生は驚いたように布団から跳び起きました。

   「な、なんだ!レイン!?」
   「どうしたの?せんせ」

   愛しい存在を確かめるように叫んだキョウジ先生を心配そうに覗き込んで来たのは。
   麗しい大人の女性ではなく、可愛い小さな女の子でした。

   「レ…レイン?」
   「こわいゆめみたの?だいじょうぶ?せんせ」

   急に覚醒し始めた意識に、今自分がいるのは自分の部屋で、
   付けたままのテレビから正月番組が流れている事に気付いて。

   「夢…か」

   さっきまでの出来事が全て夢だった事に気付いて、小さく溜息を吐き出しました。
   「せんせー!はやくおきろよー!『はつもで』いくってやくそくしただろー!?」

   はしゃぐドモン君に、あの夢で見た男らしさやクールさなんて一切感じないからです。

   「俺は…何て夢を見てんだ…」

   思わず遠い目をしてしまうのは、今年初めて見た夢が、
   自分を覗き込んでいる小さな子供と恋をする夢だったから。

   しかも自分が子供になったり大人になったりなんて
   変身願望でもあったのかと思ってしまうような夢だったのですから、
   自分への恥ずかしさもひとしおです。

   「せんせ…?」

   ちょっと首を傾げて覗いてくるレインの姿は夢の中のレインを思い出させるようで、
   キョウジ先生はなんだか後ろめたい気持ちに俯きました。
   夢とはいえ小さな教え子が大人になった姿を想像し、
   恋人にまでなってしまったのですから。

   「もー!みんなそとでまってるんだからな!さきいってるからはやくこいよ!レイン、いこ!」
   「うん」

   そんなキョウジ先生の気持ちは露知らず、
   ドモンの後を追って外に行こうとしたレインは、
   何か思い出したようにキョウジ先生を振り返りました。

   「せんせ?あたしね、『はつもで』でおねがいするの」
   「ん、んん?な、何をだ?」
   「『はやくおとなになれますように』って!」

   大好きな先生と一緒にいたいから、なんて囁いて。
   恥ずかしそうに出て行ったレインを呆然と見つめていたキョウジ先生は。

   「子供でも…本気なんだよな」

   夢の中の自分を思い出して顔を真っ赤にして笑いました。
   自分も子供になってそれを痛感したのですから。
   果たしてキョウジ先生が見た初夢は願望が見せた夢なのか違うのか。

   「テレビ付けたまま寝てたのか」

   それは先生自身にもわかりませんが。

   「せんせ、はやくー!」
   「はいはい!今行くよ!!」

   『お正月』を楽しそうに歌っているテレビを消して、
   初詣に行く為に飛び出しました。

   とーしのーはーじめーの…

   おしまい

   *********


   夢オチかよ!ってツッコミは無しの方向で(笑
   夢だから子供から大人に変身してもマッパになんてなりません(爆笑


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