ここが君の家

   *********


   拾い上げた段ボールごと家まで子犬を連れて来た榛名は、
   大きな溜息を吐いて床に下ろすと弱々しい息を繰り返す子犬を見下ろした。

   「あー寒ぃ!テメェのせいで足がびしょびしょだ!」

   成り行きとはいえ、どこまでもお人よしな自分に呆れそうになる。

   「おい、生きてんだろうな?」

   そっと小さな子犬を取り出してみると、
   それは予想以上にあたたかい温もりを榛名の掌に残して、
   何だかむず痒い気持ちになるのを感じて急いで畳の上に降ろした。

   「クーン…」

   始めはペタリと座り込んだままキョロキョロとしていた子犬は、
   温もりを求めているのか、
   榛名の足元にふらつきながら近づいて来ては身体を擦り寄せて来る。
   思わずそっと手を延ばして、
   けれど小さく舌打ちすると足に絡まる子犬を足で追い払った。

   「あー、引っ付くな!オレぁお前を飼う気はねぇの!」

   しっしっと何度も追い払って、
   怯えたように震える子犬を睨み付けると、冷蔵庫に向かった。

   「取り敢えず大学ででも飼いたいって奴捜すか…」

   牛乳を取り出して皿に流し込んで子犬の前に置いてやる。
   余程腹が減っていたのか、夢中になって牛乳を飲み続ける様に、
   安心した様に息を吐き出した。

   「その分じゃ病院に連れて行かなくても大丈夫みたいだな」

   動物病院は保険が効かないから嫌いなんだと、
   子犬の鼻を小さくデコピンして、服を着替える為に風呂場に直行した。

   *********

   「子犬の飼い主探してますだぁ!?」

   次の日、大学で一通りの授業を終えた榛名は、
   高校の同級生で今も同じ大学に通っている秋丸に大笑いしながら言われて。

   「うるせぇよ、秋丸」

   自分だってそんな善人のような事をするつもりなどなかったのだけれど。
   ただ成り行きで仕方なく世話をする事になってしまったのにと、
   キツイ瞳を更にキツく尖らせて秋丸を睨み付けた。

   「そんなの女に言やぁ一発じゃん?お前モテるんだから」
   「はぁ?」

   確かに榛名は女の子によくモテる。
   釣り上がった瞳は強い意志を感じさせる男らしさがあったし、
   その瞳を隠さない程度に伸ばされた黒髪はサラサラで羨ましがられる程だ。
   口を閉じていれば恐い印象を持たれがちだが、
   笑った途端に少年のような可愛らしい印象を与える。
   まるで猫のように気まぐれな榛名は、ひどく女性から見て魅力的なのだ。

   「それもそうだなぁ…誰か飼いそうな奴いねぇ?」

   自分がモテる事に対して否定もしない榛名に笑った秋丸は。

   「大学の綺麗なお姉ちゃん達と今日楽しいコンパがございますが?」

   如何なさいますか、なんて待ってましたとばかりに微笑んだ。

   「あ〜じゃあ行くかな。久しぶりに。今日バイト休みだし」

   余り気は乗らなかったけれど、犬の飼い主を探す為だと笑って立ち上がった。

   *********

   女というものはいつの時代も綺麗なものに弱い。
   残念な事に寮で暮らしている女の子ばかりだったので
   飼い主は見つける事は出来なかったが、お持ち帰りする相手はすぐに見つかった。

   「榛名君って結構遊び人なんでしょ」

   ホテルのベッドの上で柔らかな裸体を横たえた女の子は。

   「まさか。美人な人としかこんな事しませんよ」

   小さく笑って煙草の煙を吐き出す榛名を、楽しそうに見つめた。

   「じゃあ私はお眼鏡に適ったってわけね」

   結局朝まで名前も覚えていないようなお姉さんと楽しく過ごして、
   久し振りに心も身体も満たされた榛名は、
   電話番号を教えて欲しいとねだる彼女に携帯を持っていないと断ってホテルで別れた。
   本当は携帯を持っているのだけれど、面倒な関係になるのが嫌な榛名は、
   この手を使って何度も女性を振り切って来たのだ。
   軽い気持ちで遊ぶ相手なら構わないが、本気でこられるのは嫌だった。
   授業が午後からという事もあり一旦家に帰る事にしたけれど。

   「あ、やっべ…」

   そこでやっと子犬の事を思い出して、慌てて家に駆け出した。

   「おい!生きてっか!?」

   家に死体が転がってるなんて堪ったもんじゃないと慌てて鍵を開けた途端。

   「クーン、クーン…」

   小さな小さな声で鳴きながら尻尾を振って近づいてくる子犬を見て、眉を潜めた。

   「悪い、腹へったよな」

   何度も弱々しい声で鳴きながらも、胸元に抱きしめた榛名の顔を嘗める姿に胸が痛む。

   「すぐ牛乳飲ませてやるからな」

   喉が悪いのか一向に大きな鳴き声を出そうとしないこの子犬は、
   昨日帰って来ない榛名をずっと待って、
   この掠れるような小さな声で鳴き続けていたのだろうか。

   「ごめんな…」

   そっと頭を撫でて、皿に入れた牛乳の前に子犬を置いて、
   満足するまで何度も牛乳を飲ませてやった。

   *********

   それから、飼い主も見つかりそうもないので、
   子犬は榛名の家で暫く飼われる状態になってしまった。

   「こら加具山さん!シーツを引っ掻くな!」
   「加具山さん!暴れるなって言ってんだろ!?」

   毎日の様に寮に響き渡る声は、
   他人が聞けば家の中はどんな状態なんだと疑ってしまうだろう。
   『加具山さん』というのは犬の名前を何にするか悩んでいた時、
   たまたま家に遊びに来た秋丸が窓の外を見ると
   『加具山産業』という看板が目に入ったから。

   「じゃあ加具山さんでいいじゃん」

   とアッサリ決まってしまった名前なのだ。
   榛名自身犬を飼い続けるつもりも無かったが、
   名前がないままではやりにくいと仕方なしに付ける事にした。
   しかし殊の外犬自身はこの名前が気に入ったのか、名前を呼ぶとやはり小さな声で。

   「クーン」

   と鳴きながら尻尾を振って近付いて来るのだ。
   バイトや学校から榛名が帰って来ると、嬉しそうに近付いて来ては尻尾を振る加具山は、
   なんだかんだと榛名の生活の中に入り込んでいて。

   「榛名今日合コン行かねぇ?」
   「悪ぃ、バイトなんだ。加具山さんにも飯食わさなきゃなんねぇし」
   「え〜?」

   最近特に付き合い悪いぞ、なんて唇を尖らせる仲間達に手を振って、
   バイトに行って帰って加具山の相手をするのが榛名の日課のようになっていた。

   「お疲れさんっしたー」

   いつものようにバイトを終えた榛名は、
   いつも帰り道に通るペットショップのショーウィンドウに
   見慣れない物を発見して立ち止まった。

   「綺麗な色だなぁ…」

   新商品と書かれた札の上には、とても綺麗な青緑の首輪が飾られていて。

   「アイツに似合いそうだな…」

   その首輪を着けて愛嬌のある顔を傾げている姿を想像して笑ってしまった榛名は。

   「って、別にオレが飼う訳じゃねぇんだし」

   思い直した様に立ち去ろうとしたけれど。
   チラリともう一度その首輪に目を向けて。

   「すんませーん!アレ欲しいんすけどー」

   結局、初めて入るペットショップに緊張しながらも大声で叫んでいた。

   「これ人気商品で在庫がこれで最後なんですよ」

   良かったですね、なんて笑う店主に笑い返して、
   袋に包まれた首輪を嬉しそうに握り締める。

   「そうそう、あのちょっと行った所に大きな川が流れてるでしょ?」
   「はぁ」

   何かを思い出した様に眉を潜める店主を不思議そうに見つめた榛名は、
   加具山を拾った大きな川を思い出して頷いた。

   「あそこで今日子犬の死体が見つかったんだって」
   「へ〜そうなんすか」

   基本的に動物好きなわけでもない榛名は興味無さそうに答えて、
   早く帰りたそうに周りをキョロキョロと見回して。
   それでも自分の話に夢中なのか気にした風でもない店主が。

   「首輪もしてなくて、まだとても小さい柴犬らしいよ」

   可哀相にね、と呟いた瞬間。

   「サンキュでした!」

   顔を真っ青にして店を飛び出した。

   *********

   家からあの大きな川までは普通に歩いてすぐ行ける距離だ。
   以前にも一度、何処から出たのか外の道を加具山がウロウロしていた事があった。
   榛名がいないのが余程淋しかったのだろう。
   飛び付く様に駆けて来た加具山をあの時は呆れた様に見つめていたけれど、
   あの川まで淋しくて探しに来ていないとも限らない。

   「冗談じゃねぇぞ…」

   嫌な思いが胸に広がって、より一層走るスピードを上げる。
   走っている最中に思い浮かぶのは、
   出掛けようとする榛名に小さな尻尾を何度も振っていた加具山と。
   楽しそうに手を振って出掛けて行った両親の姿だ。

   『お土産を楽しみにしておいてね』

   旅行好きな両親の言葉を聞いた日を最後に、
   榛名は両親と最後の別れをする事になった。

   「まさか…大丈夫だ…アイツじゃねぇ…」

   震える手で首輪を強く握り締めてひたすら走り続けた。
   もう誰かが死んだと聞くのは嫌だった。
   一秒が一時間にも思える時間を走り続けてやっと家に辿り着いた榛名は、
   玄関の扉がちゃんと締まっている事に安堵して急いで鍵を開けて中に入った。

   「おい!帰ったぞ!」

   乱れた息もそのままに大声で叫んで、
   尻尾を振りながら近付いてくる存在を待ったけれど。

   「おい!何で出てこねぇんだよ!」

   一向に現れる気配のない静まり返った暗い部屋に、
   慌てた様に靴を脱ぎ捨てて部屋に入った。

   「出てこいって言ってるだろ!?」

   怒った様に大声で叫びながら部屋中を探し回るけれど。

   「だから嫌だったんだ!犬を飼うのなんて!!」

   静まり返った部屋には自分の声と部屋を散らかす様に探す音しか聞こえなくて。
   それでも何かから逃げるように必死で大声を出し続けた。

   「…ちくしょう!」

   恐かった。黙ってしまうとこの部屋には自分しかいないと認めてしまうようで、
   恐くて仕方がなかった。
   両親がいなくなってから、初めて誰もいない家に帰る辛さを知った。

   「ちくしょう!」

   度々旅行に行く両親が家にいなくても淋しさを感じなかったのは、
   また必ず帰ってくる事が解っていたからだ。
   でもいくら待っても、何日経っても帰って来ないのだと分かると、
   苦しい程の淋しさに襲われて。
   こんな淋しい思いをするくらいならと、
   親戚付き合いも友達や女付き合いも浅い関係を保った。
   決して自分の中には入って来ないように。
   離れていく淋しさを二度と感じないように。

   「だから…嫌だった…んだ…っ」

   なのに、突如拾う事になってしまった子犬は、
   そんな榛名の気持ちなんてお構いなしに榛名を振り回し続けて。
   いつの間にか自分でも気付かないうちにとても大切な存在になっていた。
   家に帰れば誰かが待っていてくれるという喜びは、
   榛名のとても小さな、けれどとても大きな幸せだった。
   必死に探せば見つかる筈の飼い手を探そうとしなかったのも、
   理由付けをしてでも側に置いておきたかったからだ。

   「加具山さん…っ」

   畳の上に放り投げていた首輪を手に取って涙を流した榛名は。

   「…何だ?」

   ベランダから小さな、ほんとに小さな物音が聞こえた気がして
   ゆっくり近付いて硝子戸を開けようとしたけれど。
   何故か壁に立てておいた箒が倒れて片側を塞いでしまっていたので、
   慌てて反対の扉を開けた。

   「加具山さん!」
   「…クーン…クーン…」

   ベランダの隅にうずくまりながら鳴いていた加具山は、
   榛名の声を聞いた途端弾かれた様に飛び上がって榛名に近付いて行った。

   「何でこんな外に!?」

   冬の寒空の下でずっといたのだろう。
   抱きしめた身体はひどく震えていた。

   「そういや、ここの鍵壊れて…」

   簡単に開いてしまう硝子戸に困っていたのだが、
   きっと加具山はここを使って外に出ていたのだろう。
   しかし風の悪戯かここで遊んでいるうちにか箒を倒してしまって。
   中に入りたくても入れなくなってしまい、寒さを凌ぐ為に隅で丸まっていたのだ。

   「…の…馬鹿!」
   「…わかった…恐かったよぉ!…オレ、オレ死んじゃうかと思…っ」
   「は?」

   安堵と呆れで怒鳴り付けた瞬間、聞いた事もない声が聞こえて驚いて目を見開いた。

   「ひっ、ふぇ…っ」

   腕の中で震える加具山は、まるで人間の様に両手で目を押さえて泣いていたのだ。

   「加具山…さん?」
   「な、なんっだよ…ひっく…はっ!」

   目を点にしている榛名に気付いたのか、
   見るからに戸惑ったように視線を反らした加具山は。

   「ク、クーン、クーン」
   「今更遅いわ!」

   顔を真っ青にした榛名に叩き落とされてしまった。

   *********

   「いってぇ!何すんだよ!!」
   「うるせぇ!何だお前!化けモンか!?」

   途端に傷ついた様に瞳を伏せる加具山に少しだけ胸が痛む気がするがこの際無視だ。
   人間の言葉を喋る犬を見て、普通でいろという方が無理な話だろう。
   榛名はさっきまで自分が泣いていた事も忘れて、
   ズルズルと尻餅をつきながら後ずさった。

   「ミスった…喋らないようにしてたのに…」
   「うわあああああ!化け物ーーー!」

   可愛くて小さな柴犬は、
   目の前で一瞬の間に犬の耳と尻尾を生やした人間の姿になってしまって。

   榛名は目に涙を浮かべながら叫んで壁に抱き着いた。

   「そう…化け物化け物言うなよ」

   けれど、ふと淋しそうに俯かれて、戸惑ったように口を閉ざした。

   「オレだって気がついたらこんな姿になってたんだ」

   加具山の話によれば、母親も分からぬうちから道に捨てられていた加具山は、
   ある日拾われて飼われる事になったのだが、
   ふとした瞬間に主人の目の前で人間の姿になってしまい、
   気持ち悪いからと川に捨てられたらしい。

   「自分でも何でこんな姿になれるのか分からないんだ。知らないうちにこんな姿になっちゃって…」

   恐い、化け物だと散々愛していた主人に罵られ、
   犬の姿に戻った瞬間捨てられた加具山は、
   もう自分なんて死んだ方がいいのかもしれないと段ボールの中で思ったのだそうだ。

   「でも、死ぬ寸前に榛名が助けてくれた…」

   けれど榛名に拾われて、榛名の温もりに触れているうちに、死ぬのが恐くなった。
   最初は嫌がられているのが分かったけれど、
   榛名が段々と自分を受け入れてくれた事が嬉しくて。

   「もう捨てられたくなかったから、人間の言葉を喋るのも変身しちゃうのも必死に隠してた…」

   だから最初から小さな声でしか鳴かなかったり、
   人間の姿になれば開けれるはずの硝子戸も開けずに子犬の姿で震えていたのだ。

   「もう…捨てられて一人になるのは、嫌だったんだ…」

   淋しそうにポツリと呟いた加具山は、小さく震える榛名を横目に、
   玄関に向かって歩き出した。

   「今までありがとう…」

   座って俯いたままの榛名に背を向けて、扉を閉めてから犬の姿になる。

   「また、失敗しちゃった…」

   本当は、少しだけ期待していた。
   榛名なら、こんな自分でも受け入れてくれるんじゃないかと思った。
   けれど、恐れるように見開かれた瞳を見た瞬間、自分の中で後悔が渦巻いた。

   「榛名…時々凄く優しいから…馬鹿だよな…オレ」

   結局、自分という存在を認めて受け入れてくれる存在なんていないのかもしれない。

   「拾われなきゃ…良かった…」

   もう同じ目に合うくらいならと、あの捨てられた川に向かって歩き出した加具山は。

   「…え?」

   後ろから追い掛けてくる足音に、戸惑ったように立ち止まった。
   その真後ろで同じように止まった足音に、
   期待してはいけないと自分を押さえ付けつつ振り向かないように努力して。

   「これ…今日見つけて、加具山さんの為に買ってきたんだぞ」

   後ろからそっと首に巻き付けられた綺麗な青緑に、驚いた様に目を見開いた。

   「オレだって…もう誰もいない部屋に帰るのは…嫌なんだ…」

   小さく呟く榛名の声が震えている気がするのは、きっと気のせいではないだろう。

   「一人は…辛いんだよ!」

   苦しさを押さえるように吐き出す言葉に、溢れてくる涙を堪える事が出来なくなる。

   「オレ達の…家に帰ろう?」

   そっと抱き上げられた温もりと、抱き上げた掌の温もりは。

   「るな…っ…榛名ぁ…!」

   きっとお互い一生忘れる事はないだろう。
   幸せそうに見つめあって、二人の家に帰る為に歩き出した。

   「ここが、君の家だよ」

   終わり

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   長い!長過ぎるよ!!!(汗
   短い話の書けない私を許して下さい(涙
   コメディ物になるはずだったのに、設定のせいで暗い話になっちゃいました(泣

モドル