車輪の唄

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   夜9時過ぎ。
   練習が終わり、そそくさと帰って行った仲間たちがいない事を確認した花井は。
   部室にしっかり鍵をかけてから疲れた様に大きく伸びをした。
   充実した疲れは体に疲労を残すけれど、けして嫌な疲れではなかった。
   だがこれからまた電車に揺られて帰らなければいけないのかと思うと、
   随分気が重くなる気がする。
   ふと、急になんだか淋しい気持ちに襲われて。

   「あぁ、そういえば阿部帰ったんだっけ…」

   いつも一緒に帰っているクラスメイトを思い出して溜息を吐いた。

   「三橋…大丈夫かな」

   いない相手に思わず手を合わせてしまうのは、
   そのクラスメイトがチームメイトと一緒に帰るのだと、
   いやにご機嫌だったからだ。
   あの張り切り様は、あわよくば家に泊めてもらおうという下心を
   全員に大いに感じさせたのだが、
   当の三橋本人は全く気付いていない様子だった。
   三橋に恋心を抱いている阿部からすれば絶好のチャンスだと言えるだろう。

   「…なんであいつは男に恋なんて出来るんだ?」

   思わずゲンナリとした呟きを零してしまうのも仕方ないと言えるだろう。
   すっかり暗くなった校舎の横を歩いていた花井は、
   急に後ろから足音が聞こえて驚いた様に固まってしまった。
   ちらりと後ろの気配を伺うけれど、暗くて何も見えなくて。
   背中に冷たい汗が流れるのを感じて、ゆっくりまた歩き出した。

   『自転車事故起こした生徒の霊が出るんだって!』

   昼間田島が嬉しそうに話していた言葉が急に思い出されて
   だんだんと早歩きになっていく。

   「嘘…だろ…?」

   よく聞いてみれば車輪の音まで聞こえて来て、
   パニック状態に陥った花井の頭に
   『少年の変死体発見!自転車の車輪に踏まれた跡が多数』という、
   あまりホラーさを感じさせない文が浮かんで。
   耐え切れなくなったように走り出そうとした花井は。

   「おーいっ!」
   「ひっ!」

   幽霊に呼び止められて思わず足を止めてしまった。

   「た、助けてくれ!神様仏様!阿部様!」
   「何で助けてくれなんだよ!待ってたのに失礼だろー!」

   しかもなんで阿部様なんだよ、なんて怒る声は確かに聞き覚えのあるもので。

   「…田島?」
   「阿部よりオレの方が強そうだろ!?」

   小さな街灯にその姿を確認出来た途端、
   花井は大きな息を吐いてしゃがみ込んでしまった。

   「せっかく終わったんだーと思って後着けてたのに!」

   気付けよな、という田島に、じゃあ声をかけろよと思ってしまう。
   でも幽霊じゃなかっただけでよかったからいいかと溜息を吐き出した。

   「なんでまだいるんだ?」

   田島の家はここから自転車で1分だと言っていたのを以前聞いた事があった。
   わざわざ電車の花井を待つ必要はないのだ。

   「まだ終電まで時間あるし、暇だから遊ぼうと思って☆」

   張り切って言う田島に、どれだけタフなんだと言いたくなる。
   朝5時から朝練があって授業を受けて夜練が夜9時まで。
   こんな状態でまだ遊ぼうと言える田島に、呆れを通り越して感心してしまう。

   「オレは早く帰って寝たい」
   「なんだよ、ケチ!」

   せっかく待っていたのにと唇を尖らせる田島がなんだか可愛くて。
   何で待っていたのかなんてどうでもいい気がした。

   「じゃあ駅まで送ってくれよ」

   このまま真っ直ぐ15分くらいだから、なんて笑ったら。

   「うん!」

   とても嬉しそうに笑い返されて温かい気持ちになるけれど。

   「でも花井が漕いでね」

   オレよりデカイから、なんて無邪気な笑顔で言われて。
   妥協案なんて出すんじゃなかったと
   溜息を吐きながらも大人しくサドルに座った。

   「行けー!花井号!」
   「お前は何をしに来たんだ…」

   力いっぱいペダルを踏んで漕ぎ出す。
   始めはふらふらとしていた自転車も、
   だんだんと安定を保ってスムーズに動き出した。

   けして軽くはない体重を乗せて漕ぐのは大変だったが、
   背中に伝わる温もりが、一人じゃないと教えてくれるようで
   なんだか嬉しかった。

   「花井ー!何で阿部様なんだぁ?」
   「は?」

   後ろから耳元に顔を寄せるように言われるのがなんだかくすぐったい。

   「だから、さっき言ってただろ?『神様仏様阿部様ー!』って」

   なんでオレじゃないんだ、なんて言われて、
   田島が何を怒っているのかわからない。

   「いや、阿部だったらおばけの方が逃げるんじゃないかって」

   苦笑したように言い返したら。

   「なんだ!そっか」

   花井にはわからない何かを納得したのか、嬉しそうに笑うから。

   「なんだ、そりゃ?」
   「いいの、いいの!ほら、もうちょっと!あと少しだぜ!」

   呆れたように笑って、
   真っ暗な田んぼ道を時々ふらつきながら必死に走って行く。

   暗い空に浮かぶ星を眺めて、静かに走って行く。
   途中あるきつい上り坂では二人で無言になるくらい力を入れて必死に上った。
   上り切った所はなんだか少しだけ星に近づけたような気がして、
   子供みたいな事を考えてる自分に笑ったら。
   背中で田島も小さく笑うのがわかって
   一緒の事を考えているのかもと嬉しくなった。

   「なんか、世界中にオレら二人だけみたいだ!」

   何も聞こえない、と笑う田島は、その言葉が
   どれだけ素敵な響きを持っているなんて思わないんだろう。
   深い意味はないとわかっているのに、何だか恥ずかしくて
   赤くなった顔を見せないように、必死に自転車を漕いだ。

   やっと見えてきた駅に少し淋しい気持ちを覚えるのは、
   駅に集まる人々を見て、世界に二人きりじゃないとわかったからだなんて。
   恋する女の子みたいな事を考えている自分が不思議で仕方なかった。

   「あーあ、花井〜着いちゃったよー」
   「じゃあ、ここまでだな」

   そっと自転車を降りて田島に返す。
   背中からなくなった温もりに少しだけ切なくなったなんて内緒だから。
   そのぶんなんとも思っていないように笑いかける。

   「じゃあな」
   「おう!」

   あっさりと別れて行こうとしたけれど。

   「あ、あれ?」

   大きなスポーツバッグが改札に引っ掛かってしまって、
   花井は慌てたように田島を見つめた。

   「ったくー、仕方ねぇなぁ!」
   「さんきゅ!……田島?」

   改札に引っ掛かった鞄は田島の手によって取れたけれど、
   その鞄は田島の手によって掴まれたままで。

   「どうしたんだよ」

   訝しげに聞くけれど。

   「じゃあな!痴漢に襲われないように気を付けろよ!」
   「なっ!何で痴『漢』なんだよ!!」

   顔を真っ赤にして怒ろうとしたら、あっさりと手は離れて行ってしまう。

   「電車!来るぜ!」
   「あ、あぁ」

   今日の田島は何かいつもと違う気がしたけれど。
   そのまま何度も後ろを振り返りながらホームに走った。

   「田島ー!明日も頑張ろうな!」

   それだけ一生懸命に叫んで、
   恥ずかしそうに電車に乗り込んで行く花井に手を振った。
   どうしてあんなに花井は自分を優しい気持ちにしてくれるんだろうと考えて。
   それはきっと花井自身が優しいからなのだろうと思うと、
   胸が温かくなるのを感じた。
   電車が動き出す音に慌てたように自転車に跨がる。

   花井の姿は見えないけれど、田島は精一杯電車に向かって手を振った。

   「花井!大好きだー!」

   聞こえない事はわかっている。
   でも、言わなければいけないような気がして。
   何度も何度も手を振った。

   帰りはいつもと少しだけ違う道を通って。
   夜なのにも関わらず賑わっている町を横目に走り抜ける。

   「世界中に一人だけみたいだなぁ」

   君がいない事がこんなに淋しかったなんて、と小さく笑って。
   花井の温もりを思い出すように掌を握り締めた田島は、
   自転車を一生懸命家に向かって漕ぎ出した。

   END

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   この唄すごい好きです。
   ハナタジ風味のタジハナ☆この二人すっごい純情そう(笑

モドル