1年B組ゲイ八先生
*********
『保健室でベッドイン☆』
「おーなーかーいーたーいぃ!」
生徒達の話し声でざわめいていた教室は、
シエロの叫び声に一瞬にして静寂に包まれ、次の瞬間さっきよりも一層騒がしくなる。
「アンタ煩いのよ!いきなり叫ぶんじゃない!」
「大丈夫?シエロ」
途端に左から飛んで来た鉄拳と右からかけられた優しい言葉に、
喜べばいいのか悲しめばいいのか分からなくなる。
「アルジラ痛いよ!セラはこんなに優しいのにさ」
唇を尖らせて拗ねるシエロを苦笑しながら見つめているのは、セラ。
アルジラが高校で初めて作った女友達だ。
珍しい位綺麗な漆黒の短い髪に大きな瞳。
優しい物腰が幸いし、男子の間でひそかに『女神』だとか『巫女』だとか言われている。
男は物静かで可愛い女の子には幻想を抱きたい生き物なのだ。
「ギャーギャー言う前に保健室にでも行きなさい」
呆れた様にピンク色の髪をかき上げるアルジラも、
その過激な性格から『女王様』と謳われ、妙に男子に崇拝されている。
「だーって次ゲイルの授業だもん…」
そんな二人が側にいる事によって寄せられる、
羨望や妬ましい視線など気にせず、シエロは机に突っ伏した。
どれだけ体調が悪かろうと、ゲイルの授業は受ける。
これがシエロが決めた今年一年の抱負だ。
信念だと言ってもいい。
その為になら血を流してようが腸がよじれてようが出る覚悟はあるのだが、
いかんせん身体は持ち主の意思を尊重してくれないらしい。
後から後から流れてくる冷や汗は、シエロの具合の悪さを見事に表していた。
アルジラもそれが分かるからこそシエロにきつい言葉をかけるのだ。
「そんな事言ってるうちに倒れるわよ」
アルジラの心配気に揺れる声は、響き渡るチャイムの音に掻き消されてしまって。
心配する二人を安心させるように笑いかけると、強く頭を左右に振った。
*********
愛しい人の声を聞きながら過ごす1時間とは、いつも何気なく過ごす1時間よりもひどく短く感じる。
「ヤベェ…来やがった」
けれど自分が苦痛と戦う1時間はどうしてこんなに長く感じるのだろうか。
さざ波のように消えては現れる腹痛に耐えようとすればする程、
ますます痛みが酷くなっていくような気がする。
「つまり、ここのyの値が変化するから…」
よく通る声で淡々と喋る愛しい人の声までが、いつもより遠く聞こえるようだ。
「おい、大丈夫かよ」
小さな声で聞いてくるサーフの心配そうな声に頷いて。
「このまま大人しく座ってれば大丈夫…っ」
まるで自分に言い聞かせる様に呟いて俯く。
しかし、人間は放っておいて欲しい時程、やたら目を付けられたりしてしまうらしい。
「シエロ、この問題を解いてみろ」
突然指名された事実に、黒板に書かれた問題が難しいからではない眩暈を感じてしまう。
ゲイルに名前を呼んで貰っちゃった、とかそんなレベルじゃないのだ。
「は、はい…」
ゲイルの訝しげな瞳に逆らえるわけもなく、ゆっくり立ち上がったシエロは。
「シエロ!!」
愛しい人の叫び声を遠くに聞きながら、その場でゆっくりと倒れて行った。
*********
どれ程気を失っていたのだろうか。
自分が温かい抱き枕を抱いている事に気付いたシエロは、
気持ち良さになおも自分の胸元にそれを引き寄せた。
なんだか上下に身体が動いている気がするのは、
気持ちが良くてフワフワした気持ちになっているからだろうか。
「いい匂い…」
枕にしては妙な硬さのあるそれは、シエロがいままで匂った事が無いようないい匂いがする。
「ゲイル…」
「何だ」
「………!?」
思わず愛しい人の名前を呟いた瞬間、硬い抱き枕が喋ったという事実に、一瞬にして意識が覚醒する。
「ゲゲゲゲイル!?」
「だから何だと言っている」
そこで初めて、自分が抱き枕だと思っていたのはゲイルの背中で。
上下に揺れていたのは自分が、ゲイルにおぶられていたからだという事に気付いた。
「ななな何で!?」
「…覚えていないのか?凄いな…」
思わず感心したように呟く声に、一体自分は何をしてしまったんだろうと、
一瞬にして卑猥な考えばかりが頭を巡ってしまった。
「何故大切な所を忘れてしまったんだ…っ!」
責任問題について考え始めるシエロは、自分がおぶられているという事実をすっかり忘れている。
気持ちは既に脱童貞なのだ。立場が逆かもしれないという考えは一切浮かばないらしい。
「素晴らしいスタートダッシュだったぞ」
「はぁ!?」
俺はそんなに早かったのかと考えてしまうのは、
男の沽券とプライドに関わる問題だと信じて疑わないからだ。
しかし、ゲイルの説明を聞いて、シエロは気を失いそうな程の眩暈を感じた。
「倒れたお前に近づいた瞬間いきなり立ち上がって、教室をダッシュで出て行ったんだ」
仕方なく授業を自習にしてシエロを追ったゲイルは、
廊下でシエロを見失ってしまったらしい。
数分後、フラフラしながらトイレから出て来たシエロが廊下で倒れたのを見て、
仕方なく保健室に連れていく事にしたのだ。
そして今に至るらしい。
「夢遊病なのかと思ったぞ」
鬼気迫るものがあったと頷く声に、そう言えばお腹が楽になっている事に初めて気付いた。
「もしかして…あの腹痛は…便秘?」
人間の無意識の行動に感心するよりも羞恥心が勝り、
途端にゲイルに背負われている自分が酷く恥ずかしくなって暴れた。
「ゲ、ゲイル!もう大丈夫だから降ろして!」
「暴れるな。もう保健室に着く」
保健医は今居ないのか、静まり返った保健室の扉を開けて中に入る。
けれど、やっぱり好きな人に背負われたままだというのが嫌で。
「もー!降ろしてってばー!!」
「こ、こら!もうベッドだから暴れ…」
背中の上で目茶苦茶に暴れた瞬間。
「あ…っ!」
「だから暴れるなと言ったんだ」
まるで俯いたままのゲイルを押し倒している様な恰好で、ベッドに倒れ込んでしまった。
「退けろ。スーツに皺がいく」
乱れた髪もそのままで睨み付けてくる瞳に、
いつもストイックな雰囲気すらあるゲイルを押し倒しているような、倒錯的な欲望が湧いてくる。
「ゲイル…っ…俺…!」
「シエロ?」
光の加減によって碧にも翠にも変わる吸い込まれそうな瞳に、
我慢できなくなったようにそっと唇を近づけた瞬間。
「ゲイル」
保健室の扉を開けて入って来たデカブツの男に、甘い雰囲気は掻き消されてしまった。
「あぁ、ルーパ」
ルーパと呼ばれた男は、二人の姿に一瞬だけ眉をひそめて。
「随分な恰好だな」
苦笑をしながら椅子に掛かったままの白衣を着た。
日に焼けた、鍛えられた逞しい身体と大きな身長からは想像が出来ないが、ルーパは保健医らしい。
しかし二人の妙に親しげな態度が悔しくて、
ゲイルの上に乗ったままルーパを睨み付けていたシエロは、
ルーパにあっさりと抱き上げられ、そのままベッドに寝かされてしまった。
「な、何すんだよ!」
「全く、元気な病人だな」
一応シエロが保健室に運ばれた事を聞き付けて急いで帰って来てくれたのだろうが、
シエロにしてみれば正に余計なお世話としか言いようがないようなタイミングだった。
「じゃあ俺は授業に戻るか」
「え!?行っちゃうの!?」
「俺はお前と違って病人ではないからな」
皺の付いたスーツを手で叩いて、
早々に出ていこうとしているゲイルの服の裾を掴んで必死に引き止める。
ルーパとこんな所で二人きりになるなんて嫌だったし、何より今は二人でいたい気分だった。
「行っちゃ嫌だよ!」
「だがな…」
子供のように甘えて引き止めるシエロに、困った様に苦笑する姿に悲しくなってしまう。
ルーパならもっと大人っぽく引き止めるんじゃないかと思ったら悔しくて。
裾を掴んだ指を更に強く握って唇を噛み締めた。
「どうせ授業は自習だろう」
シエロが何か言おうと口を開いた瞬間、諭すようなルーパの声が聞こえて。
「それに、お前が長居するものだと思って珈琲まで入れたのだが」
無駄にしなければいけないのかな、という声に同意はしたくないが、
今はゲイルを引き止める事が最優先事項だと判断したシエロは、
首を上下に激しく振ってゲイルを見つめた。
「お前の我が儘には付き合ってられんな」
けれど、冷たくそう言われてしまって。
思わず泣きそうになる自分を隠す為に俯いたシエロは。
「だが、折角の珈琲を無駄にするわけにはいかないからな」
今回だけだと素っ気なく言って、けれどそれとは裏腹に優しく頭を撫でてくれる仕種に、嬉しくて何度も頷いた。
「じゃあ添い寝して☆」
「理解不能だ」
結局駄々をこね倒したシエロは、珈琲の香りと、添い寝をしない代わりに、
ずっとベッドに腰掛けながら頭を撫で続けてくれるゲイルの優しさに包まれながら、
そっと瞳を閉じた。
終わり
*********
ヘタレ攻め万歳ー!ルーパが保健医なのは好みです(笑
モドル